以下のツイートにある通り、3月21日の朝に帰国しました。 理由は新型コロナウイルス(以下:新型コロナ)の影響で、当初の帰国便が運休になる見通しが立ったからです。
私の入国日は2019年4月7日で、ビザの有効期限が2020年4月6日、帰国便は2020年4月5日の深夜にメルボルンを発つ予定でした。セカンドビザの発給権を持たない私に滞在延長の選択肢はなく、不法滞在になる前に2週間ほど帰国を早めるしかありませんでした。
今回は、この数週間で感じたことについて書きます。
※あくまで記事中の内容は「私が感じたこと」です。また記事の内容は私個人の意見であり、他の方の生き方や考え方を否定する意図はありません。
【時系列】オーストラリアで感じた新型コロナの影響
まずはオーストラリア内で感じた新型コロナの影響を、自分の経験の範囲内で時系列に沿って書き出します。
1月下旬:発症者が出たタイミングでメルボルンへ引っ越し
1月27日。ツアー・ダウン・アンダーの終了を待ち、昨年10月から約4か月過ごしたアデレードを発ってメルボルンに到着しました。オーストラリアでの発症第一号(春節で武漢からメルボルンに来ていた男性)の報道が引っ越し直前に出ていたので、「嫌なタイミングだな」と思ったのを覚えています。
2月:まだ他人事。
住んでいるメルボルンで発症者が出たとはいえ、2月の時点では正直なところ対岸の火事だと思っていました。
2月1日には多くの人が集まる全豪オープンテニスを見に行き、翌日にはカデルエヴァンス・グレートオーシャン・ロードレース、翌週末にはジャイコ・ヘラルドサンツアーを観戦。ダイヤモンド・プリンセス号のニュースが連日報道されていた時期です。
元々オーストラリアは予防目的でマスクをつける習慣がないし外出制限もないので、今まで通り普通の生活をしていました。
3月上旬:北半球は大変だけどまだ大丈夫だよね?
3月4日。FORUM MELBOURNEで開催されたONE OK ROCK(以下:ワンオク)のライブへ。日本では2月26日に首相による「大規模イベントの約2週間の自粛要請」が出て、軒並みライブの公演中止が決まった時期。海外情勢としては、イタリアでの感染拡大が顕著になっていた頃です。
ワンオク豪ツアーには日本から来るファンも多かった一方で、Twitterを見ると渡豪を断念した方もいました(「日本から来るファン」は、2019年の国内ツアーのグッズを持っていたのを根拠に判断しています)。
国内ツアーより小規模な箱かつオールスタンディングで、一人でも感染者がいれば観客は全員が濃厚感染者。それでも 「北半球はやばそうだしオーストラリアも感染者が出てるけど、まだ大丈夫」と思っていました。
本来は4月6日に帰国予定だったので、3月上旬はオーストラリア生活が残り一月を切った時期。ワンオク豪ツアー以外にも、最後の思い出作りを予定していました。競馬場もその一環です。
3月中旬:ついに生活に影響が出てくる
3月中旬になると、いよいよ生活に影響が出始めました。実生活での影響の前に、メルボルンで最も楽しみにしていたイベントのひとつ、F1のオーストラリアGPが初日開場直前で中止に。
大人数が集まるオーストラリアGPの開催には賛否両論だったものの、数日前までは強硬開催する方向でした。しかし、参加チームのメンバーから新型コロナ感染者が出たことで、開幕戦当日の朝に中止を発表。
私の観戦予定は最終日曜日だけでしたが、金曜の午前中はショックで呆然としていました(これを機に、絶対にオーストラリアGPを観るためにメルボルンに戻るのを誓いました)。
実生活への影響が最も大きかったのは、紙製品や食料の買いだめです。日本より1~2ヶ月遅れてメルボルンでもこの現象が発生し、欲しいものが手に入らない状態でした。
普段は一番安いトーストや牛乳を購入していましたが、この時期は「買えればラッキー」で選り好みする余裕はありません。普段は買わない価格帯の商品を買ってでも、トイレットペーパーや食べ物を確保していました(帰国が迫っていたこともあり、必要以上の買いだめをする気は皆無でした)。
3月18日:モリソン首相の声明で状況が一転
3/17時点では上記ツイートからわかる通り静観していましたが、事態が一変したのは翌18日。同日のモリソン豪首相による非常事態宣言がきっかけでした。
非常事態宣言の内容は全国民の出国を禁ずるもので、「国民」の定義でワーホリはじめTwitter上の在豪日本人は、私含め軽いパニックに陥っていたように思います。 「国民=オーストラリアに居住する人」と解釈した人の「帰れなくなった」というツイートも、かなりの数を目にしました。
幸運にも当時の家から徒歩15分くらいのところに在メルボルン日本領事館があったので、私は直接領事館に足を運ぶことに。徒歩15分で向かった領事館で話を聞けたのは2~3分でしたが、信用できる筋から日本語で情報を取れた安心感は大きかったです(領事館からメールが着たのは数時間後)。
3月19日:帰国を約2週間早め、翌日退去、翌々日帰国に
前日まで早期帰国はあくまで「プランB」でしたが、3月19日の昼頃に急遽メルボルン~成田の帰国便を手配。その理由は、当初搭乗予定だった飛行機の運休がほぼ確実になったから。
上の図にある3月22~29日の「JL774便」は、3月19日時点で運休が決まっていました。しかし帰国予定日(4月6日)の路線計画に変更があるかどうかは3月19日時点で未定(4月末までの運休を知らせる下の図が発表されたのは3月24日です)。
とはいえ、豪首相が非常事態宣言を出してオーストラリアの大手航空会社がこぞって減便しているなか、JAL便の運航再開は到底考えられませんでした。カンタス航空はまだ日本に就航していましたが、預入荷物の重量制限(30kg×1)がJAL(23kg×2)より厳しかったのと、未曾有の事態に日本語対応できる安心感でJALの航空券を購入。
購入した航空券は3月21日(日付変わってすぐ)のフライトだったので、航空券購入から約24時間で家を退去することに。このあとはお土産の購入や航空券eチケットの印刷などでバタバタしました。
3月20日:退去して空港へ
残った食材をシェアメイトにあげたり、部屋のオーナーに急な退去の連絡をしたり(返信はなかった)。バタバタしましたが、午後にはメルボルンで過ごした家から撤退。
前日までに荷造りはほぼ終えたので、午前中は近所のお気に入りのアイスクリーム屋さんで3段アイスを食べました(帰国前にやりたいことで実現できた唯一のことでした)。
飛行機の離陸まで約9時間ありましたが、万が一に備えて早めに空港へ。預入荷物も手荷物も重量制限内に収め、オーストラリア最後の夜ご飯は空港のマクドナルドで。
離陸が遅れたものの無事に離陸し、3月21日の朝に帰国。都内に住む両親が車で迎えに来てくれたので、公共交通機関を使わずに帰宅しました。
この記事が公開される4月6日時点で帰国から14日以上経過していますが、不要不急の外出は控えています。
4月3日:Expediaに問い合わせ、当初の帰国便をキャンセル
帰国後のタスクとして残っていたのが、当初の帰国便のキャンセルです。以下の理由から、Expediaのマイページ上でキャンセルできず、電話で問い合わせることに。
- 航空券ステータスが「発券中」のままで、マイページからキャンセル規約などを確認できない(航空券を購入したのは10月)
- 1月の「アデレード~メルボルン便」と一緒に購入した(≒往復便の復路だけ航空券が残っている状態)
- Expediaで購入したのでExpediaからキャンセルする必要がある(JALの予約照会からはキャンセルできず)。
帰国便を変更した時点では、Expediaのサイトには「14日以内の予約がある人だけ電話してください」とありました。しかし、いざ14日以内になってExpediaを再訪すると「72時間以内」に変わっていて、4月3日までキャンセルできませんでした。
4月3日に電話したところ、(主に保留で)時間がかかったもののあっさりキャンセル成功。通常より返金に時間を要することと、旅程の後半のみキャンセルのため返金額が不明瞭なこと以外は問題ありませんでした。キャンセル代の発生も覚悟していましたが、無料になりそうで安心しています。
緊急帰国で思ったこと
ここからは、この数週間で感じたことについて書きます。冒頭の繰り返しですが、あくまで記事の内容は「私が感じたこと」であり、科学的・医学的根拠に基づいた見解や一般論ではありません。また私個人の意見であり、他の方の生き方や考え方を否定する意図はありません。
ビザ期限が6月以降だったらオーストラリアに留まっていたと思う
私のワーホリビザの期限は2020年4月6日。当初の帰国予定日はビザ期限日当日だったので、早期帰国したとはいえたった2週間早まっただけです。ただし他のワーホリの方には、渡豪直後にもかかわらず帰国せざるを得なかった人もいました(Twitterを見る限り)。
オーストラリアでも、新型コロナの影響によるアルバイトの解雇などが多発しています。ワーホリのような短期ビザは雇用を切られやすいようで、渡豪して日が浅い私のシェアメイトはバイト先が決まらず、帰国するか迷っていました。
ライターの仕事で生計を立てている私は影響を受けずに済んでいたので、ビザの期限が迫っていなければオーストラリアに残っていた可能性が高いです。現地取材の仕事で影響を受けても、致命傷にならないのはこの仕事の強みかなと改めて実感しました。
自分が外国人であると強く実感
当たり前ですが、オーストラリアにいる間の私は外国人でした。約350日の滞在で一番強くそれを実感したのが、今回の一件です。
画像のハイライトした箇所に特に注目していただきたいのですが、今回のような有事でいかに外国人の立場が弱くなるかがわかります。自国民や永住者が最優先なのは当然だし、「生活力がないなら豪政府の援助に期待せず帰国すべき」ももっともです。
今まで海外移住を希望するひとりとして、外国人・移民の有事の優先順位の低さは弁えているつもりでした。しかし、「雇用主はビザの条件に反することなく就労時間を短縮できる」とまで言われると認識の甘さを痛感するし、これからの人生設計をもう一度考え直さなければと思います。
検疫がザルすぎて拍子抜けどころではなかった
あくまで私が帰国した3月21日時点での話ですが、成田空港の検疫が非常に手薄でした。
帰国時点でオーストラリアからの帰国者が空港でのPCR検査対象外だったのも、もちろん影響していると思います。とはいえ、検疫でスタッフに「熱や咳がなければ素通りしてください(意訳)」と言われたときは開いた口が塞がりませんでした(※空港でのPCR検査と14日間の自己隔離対象にオーストラリアが追加されたのは4月3日)。
特に症状もなかったので素通りしましたが、非常に不安になったのを覚えています。
これから先の予定は振り出しに
今回は、近況報告も兼ねて長めの記事を書きました。
今までの計画では「東京オリンピック・パラリンピックを観て、落ち着いたら次の国へ」と考えていました。しかしオリパラが延期され、いつ出国できるかわからない状態です。すべて白紙です。
Web記事を書くだけならダメージは少ないものの、スポーツ界は大打撃を受けています。特にロードレースの中心地・ヨーロッパは3月以降に新型コロナの被害が爆発的に増えていて(特にグランツールが開催されるイタリアとフランス、スペイン)、レースも軒並み中止。再開の見通しは立っていません。
先ほど(4月5日夜)、本来ベルギーで開催される予定だったクラシックの代替レースがバーチャルで開催されました(下のツイート参照)。とはいえ、日本からの視聴でも本物のレースが恋しくなります。
ロードレース以外の競技も、スポーツ以外の業界も、新型コロナで影響を受けています。一刻も早い新型コロナの終息を祈りつつ、不要不急の外出や「三密」を避け、手洗いうがいの徹底をするなど、できることをするしかありません。
最後にこのブログについて。しばらくオーストラリアの記事が続くと思います。全豪オープンテニスや競馬場(×3)、滞在三都市比較の記事など、少なくとも5記事分は内容があるので、時間を見つけて更新する予定です。
それでは!